次々と大変な状況を伝える報道を目の当たりにして、人の心の余裕に頼る自分の仕事はこの世の中に何か役に立つことがあるのだろうか。被災した人に少しでもと食べられるものを安価に提供できる工場ではなく、人を暖める毛布を作れる工場でもない。お金のある人、心に余裕のある人に供給する仕事だと思うと、どうしても仕事に前向きに向かえない。漉き場の前でふと手を止めてしまう、苦しい仕事から単に逃げているだけじゃないかと自分を責める。
教えてくれたのは子供たちであった。自分がかかわるスポーツ少年団バレーボール部、日曜の練習会で集まった各チームの監督の代表の方が集まった子供たちに「被災地の方たちのことを思い、この場所で大好きなバレーボールが出来る喜びと感謝を心に留めながら元気に精一杯のプレーをして下さい。」と訓示。そうは言っても小学生、どこまで伝わったのかなと思いながら試合開始。練習会というのに監督・コーチとも大声を出し、それに応える子供たちの叫ぶ声、精一杯のプレー、生命力というすごい元気をもらった・・・教える立場の自分なのに。
過酷な状況の人々に対して何もできない自分にただ「祈る」という静的な行動を理解するのは難しい。しかし困っている人がいるという事実を心に留めながら日々を暮らすことの大事さ、普段やっていることを頑張ること、当たり前のことが出来る喜び、頑張ることだけでは結果的に何も物質的に発生するものはなくても、その姿が人に元気と勇気を伝えられる、それも「祈り」ではないだろうか。
だから私は紙を漉く。作る喜びを人にも伝えられるように・・・
ちょっとべたですがこんなの見つけました。
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